You talkin' to me ? 2nd_新たなる驚異を求めて

見た映画・テレビの話をだらだら且つのんべんだらりと綴るブログ

Category: ◆超銀幕無法地帯・激動編=劇場で見た映画の話  

目指せ!スーパーセンテナリアン

少し前のことだが夫婦で「四万十~いのちの仕舞い」という映画をイオンシネマで見てきた。

中身は高知県・四万十で奮闘するひとりのお医者さんを追いかけた地方のドキュメンタリー映画で、こういうのを徳島で上映するのはきわめて珍しいことなのだけど、おそらく四国つながりでイオンシネマ徳島が作品選定したのではないかと思うのである(シネマサンシャインだとまずこの手はやらない)

この映画に関して私自身は特に見ようと思っていたわけではなく、家内からの要望で劇場に行ってみることになったのだった。なんでも朝日新聞のコラムを本作の出演者である内科医の小笠原望さんが書いているらしく(タイトルは「診療所の窓辺から」)家内はそれを毎回楽しみに読んでおり、その人が出ている映画ならぜひ見てみたいと心が動いたそうである。

我が輩はいい年して新聞を熱心に読まない人なので(ニュースソースとしての役目は既に終わっていると思っているし(ーー;))家内に言われて初めてそんな映画があるのを知ったのだけど、いままであまりこのブログでは書いてなかったが、もともとドキュメンタリーというジャンルは好きだったので(BS系のドキュメント番組は割とマメに見ているのだよ)今回の鑑賞要請もけっしてやぶさかでは無かった。



映画の方は先に書いた小笠原先生の診療の模様を淡々と見せていくもので、患者さんひとりひとりとのやりとりをあまりを頻繁にカットを変えることもなく、それこそ一緒にその場で診察を見ている家族の気分になれるような作り方になっている(ドキュメンタリーだからというのもあるが、BGM等の効果は殆ど付けられていない)

※小笠原先生は1951年高知県生まれの現在67歳。四万十市内の内科クリニックにお勤めで今は主に在宅介護をされているお年寄りの訪問診療を行っている(老人ホームへの訪問も多いようだ)理想論ばかりではなく現場のリアルも十分に承知したそのスタイルは実に柔軟かつ自然体。また本人のキャラが木訥さの中に飄々としたところもあってか人を惹き付ける魅力をとても有した方で、それだけでこの映画は最後まで見られる力を持っていたと思うのである。

訪問先のお年寄りは田舎と言うこともあるのかスゴい高齢の方が多く、中には104歳(ーー;)というおばあちゃんが居られたりするのだが、基本小笠原さんのスタンスが「無理な延命措置はせず苦しむ事無く自然に寿命を全うし、最後は自宅で家族に看取られたほうが良いのではないか」というもの(むろん延命措置の判断は家族に確認を取ってからではあるが本人、廻りの家族含めて少しでも穏やかな最後を迎えて欲しいといった考えた方が根底にあるように思えた)

そのためか訪問先では治療、診療がメインと言うよりは寧ろお年寄りの顔を見て長時間話を聞いてあげ、如何にリラックス(または発散)してもらうかという事を親身になって行っており(ある種のカウンセリングになっているのだろうなあ)その人柄が伝わっているのだろうと思うのだがどこのお年寄りも「先生に見て欲しい」という人がほとんど。

老人ホームにいた認知症のおばあちゃんなどでも初回診療の際は睨むように小笠原さんを見ていたのが何度目かからは完全に心を許した雰囲気になってきて、たとえボケていてもそういた好意・熱意はなんとなく届くようになっているんだなと感心させられてしまった。

それでなるほどなと思ったのは小笠原さんは診療時にマスクを着用せず顔をすべて出した状態で患者さんに対峙していて、これは昨今の感染症に対するケアとして医療関係者がそれをしていないのはどうなのかという声もあるとは思うのだけど、わたしは敢えて小笠原さんは自分の表情が常にわかるような状態を作って文字通りフェイストゥフェイスで接しているのではないかと言う気がしたのである(劇中でそう言及されていたわけではないが)

特に超・高齢の方であればあの薄いマスク一枚が壁のように感じられて心を開いてくれないのではという事もあるだろうし、言ってしまえば余生が短いであろう人たちに対して廻りが神経質になりすぎるのも良くないのかなと、先生の態度を見ているとそういうことも感じてしまうのであった。

本編の中では訪問診療をしていた方が何人か亡くなられて、中にはその臨終の間際にカメラが出くわすこともあったりするのだがそこに悲しみはあまりなく、むしろ「よく頑張ったね」という労いの空気があふれていたように私には思えたのである(遺族の方と小笠原さんとの会話もそこには収められていたが皆が皆穏やかな表情を見せて故人を偲んでいたのが何をか況んやだったのではないか)

この映画を見たら薬漬けになって病院に何年も入院し、寝たきりで喋れない動けない、でも生きている、みたいな老後は送りたくないなとすっごい思ってしまった。天命が何歳かは関係なく、己の寿命が近づいて来たときは私も小笠原先生みたいな人の世話になって家族に看取られながら最後を迎えたい物だなと(そのためには独居老人にならないようにせんとね(__;))

で、内容的にはすごく良いドキュメンタリーだったなと感じたのだけど、冒頭にもっと先生のプロフィール紹介を詳しくやってもらわないとここまでの経緯がなんとなくしかわからないので、そこはDVD化するときに追加してもらった方が良いのではないかと思ったですなあ。

それとこの映画は広いシネコンより地方の公民館とか学校現場とか、そういう所でやったほうが似合っている作品じゃないかという気がしたし、もっと言うと劇場じゃなくテレビでいろんな人に見てもらいたい内容でもあったなと、我が輩そんな風にも感じました。

最後にわりとどうでも良い感想を付け加えておくと、小笠原さんが訪問診療に使っているマイカーがHONDAの"life"(人生)だったのがなんかよく出来た話だなーと・・・( ̄。 ̄;)
Category: ◆意外と近所の怪獣魔境=特撮/サブカル関係の話  

水曜日はパンサーで出動、木曜日は超獣退治

まもなくCSで放送がスタートする「ウルトラマンA(エース)」についての諸々雑感等。

本放送時(昭和47年)私は丁度小学校に入学したばかりで、旨いこと読んでいた本が小学館の学習雑誌(「小学一年生」)だったこともあり、同時に始まった「エース」の漫画連載も読んでいたし「帰ってきたウルトラマン」の後番組としての期待値も当時はかなりのものがあったと思うのである。

しかし今思い返すとこの頃自分の興味の対象は少しずつ「仮面ライダー」へシフトしており、熱中度で言うと「エース」はライダーよりやや下だったような気がするのだ。じっさい「小学一年生」の方はさほど一生懸命読んでいたわけではなく、親が学習用に買い与えた側面が大きかったと思うのだけど、自分の中ではやはり「テレビマガジン」「冒険王」と言った雑誌に載っていたライダー達の特写スチールや絵柄のダイナミックだったコミカライズ版(石ノ森章太郎ではなくすかがやみつる(「ゲームセンターあらし!」の作者)の手による物だったと思うが)の方を嬉々として読んでいたはずなのである。

したがって「帰ってきたウルトラマン」に比べるとリアルタイムの思い出もあまりないうえ思い入れも若干薄かったような気がするのだけれども、なんといっても天下のウルトラシリーズ、当然放送日が来ればテレビの前から動くことはなくコレも最終回まできっちりと見届けたのであった(「ウルトラ」と「ライダー」がほかの変身ものと比べても別格なのは子供なりに認識してたところがあったのだよ)

で、我が輩にとって「エース」と言う番組は当時も今もホントに毀誉褒貶が激しい番組だったというか、回によって出来不出来(または好き嫌い)の振幅が異常に大きいシリーズでもあったのである。

とりあえず放送スタート直前でもあるので悪い所はあまり書かないようにして( ̄。 ̄;)我が輩の好きなエピソードを一〇本ばかりピックアップしてみることにした(これ「帰ってきた」のオンエア前にもやったけど、半年後もし「タロウ」が始まればきっと同じ事をやるのだろうなあ・・・)

○第1話「輝け!ウルトラ5兄弟」・・・本編始まって直ぐ登場した超獣1号のベロクロンがひたすらカッコイイ。怪獣では無い超獣という存在を意識づけるのに最高の敵キャラだった(体中の至る所にミサイルを仕込まれてたり火は吐くわ光線は出すわとやりたい放題なのが良い。また、デザイン及び造形も斬新)ほかでもウルトラ五兄弟のそろい踏みが子供心にたいへんワクワクしたのもあって、掴みとしては申し分の無い第一話だったと思う。

○第3話「燃えろ!超獣地獄」・・・超獣は異次元人が次元の裂け目から送り込んでくると言う設定なのだけど、それを表現するのに「空が割れる」という演出をされたのが視覚インパクトとしてはかなり強烈(これは今見ても素直に「おおー」と感じる場面。この有名な見せ方はこの回のバキシム登場シーンが初めて)

○第4話「3億年超獣出現!」・・・六歳のガキにはあまりに刺激的だった美川隊員(西恵子)のむちむち太股ミニスカ緊縛シーンに終始ドキドキというエピ( ̄。 ̄;) ヤプールに魂を売った漫画家(清水紘治)の筆によって超獣が現れるという設定も秀逸で、こうした展開は従来の怪獣ものではありえない話だった。※その美川隊員役の西恵子さんは現在銀座で「珈琲 蕃」という喫茶店をやっておられるそうだ

○第9話「超獣10万匹!奇襲計画」・・・初期の超獣はとにかく登場の仕方がアイディアたっぷりで飽きさせない。この回のガマスなんかは写真に映り込んでネガに潜み、焼き回しをすればするほど数が増えていくという設定で、タイトルにある「一〇万匹」というのはガマスが映った写真が掲載された雑誌が増刷されると最終的には一〇万冊になり、そこから同じ数の超獣が出現する可能性があると言うことで、これはなかなか面白いと思った。それとこの回はゲスト女優の江夏夕子(現・目黒祐樹夫人)と今野隊員(山本正明。残念ながら4年ほど前に亡くなられている)の絡みがほのぼのして良いのだ。

○第16話「夏の怪奇シリーズ・怪談牛神男」・・・「エース」の特徴としては前番組の「帰ってきた」以上に防衛チームの各隊員ひとりひとりによりスポットが当たっているという傾向があって、このエピでは吉村隊員(佐野光洋)の岡山への里帰りから話が拡がるようになっている(「母ちゃん、わしはタックの隊員じゃ」という台詞がなんだか印象的)これが今見たらなんか途中までは諸星大二郎の「妖怪ハンター」ドラマ版を見ているかのような怪奇ムードがぷんぷん。脚本の石堂淑朗さんお得意の"怪奇民話"ネタが本編に旨くマッチしたエピソードだった。あとは超獣カウラになってしまう蟹江敬三さんの怪演も見所。

○第23話「逆転!ゾフィ只今参上」・・・これはある意味アルフォンソ・キュアロン監督の「トゥモローワールド」みたいな話で、ヤプールが世界中の子供を異次元にさらおうとするわけだけど、子供目線ではちんぷんかんぷんだった異次元・四次元というものをメビウスの輪を使って分かり易く説明してくれたのがすごく頭に残っているのである(ナレーターの岸田森が蕩々と語ってくれる)それと劇中では「学生節」の替え歌(♪オマエは俺を信じなさい、ホレ信じなさい♪)が延々と歌われるのだが、これがめちゃめちゃ怖いのだ(°°;)

○第24話「見よ!真夜中の大変身」・・・我が輩「エース」の中では一二にを争うほどこの回が好きなのである。前回(23話)全世界の「子供」に目をつけたヤプールが今度はひとりの「母」を利用して超獣を生みださせエースに復讐を遂げようとするのだが(マクロからミクロへの作戦変更。計画を実行するのはヤプール配下星人の一人と思しきマザロン人)その描写が逐一トラウマ級にオソロシかったのだ(当時この放送見た後で自分の母親の背中が赤くなってないかを確認したくらいだったからな~(__*))それからメインゲストの岩本多代さんがかなり艶っぽいのも良い(ってココだけはオッサンになってからの感想ですが・・・)

○第26話「全滅!ウルトラ5兄弟」/第27話「奇跡!ウルトラの父」・・・前編見終わった後でコレどーすんねんと( ̄。 ̄;)すっごい落ち込んだことを憶えているが、ウルトラ兄弟が全員タール漬けにされた場面はけっこうショックだった。前後編続けて見れば単純にお祭り気分満載の回でもあるし、ツッコミどころも含めて楽しい回なのは間違いない(ウルトラの父が過労死するのはオイオイと思ったけど)

○第28話「さよなら夕子よ、月の妹よ」・・・この回を見るに至り、自分は南夕子(星光子)目当てでこの番組を見ていたんだなと気がついた(きっと北斗役の高峰圭二をあまり好きじゃなかたのだろうなあ)次週から彼女が出ないと知ったときの落胆たるやそらもう相当なもので、近所にいるあこがれのおねいさんが突然嫁に行ってしまうかのような悲しさがありましたわ(そもそもわたしゃガキの頃から年上の女性が好きだったのだよ)

○第48話「ベロクロンの復讐」・・・28話以降のエースでは私が唯一好きな回。全編がかなり凝った演出(特に前衛的な表現が多い)をされており、やプールの残党である謎の女医(「プレイガール」の高毬子がセクシーなミニスカナースとなって登場)と北斗とのやりとりがスゴい緊張感あってスリリングなのである(オチがJホラーみたいな終わり方だし)


こうして書き並べると私の場合はレギュラー・ゲスト含めた女優さん、ならびに個性的な男優さんたちの魅力と派手でかっこいい(そして今日的センス溢れた)視覚効果を気に入ってこの番組を見ていたのがよくわかる。

そんなわけで、しばらくちゃんと見てなかったこともあるから忘れてる話も多いはずだし、今回はじっくりと見直してみなければなりますまい(何十年も気がつかなかった良作が隠れているかもしれないし)

ファミリー劇場を視聴可能な環境にある方はぜひ三日からのオンエアをご覧くださいませ。



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遙か彼方に輝く星は、あれがあれが故郷だ

CSチャンネル・ファミリー劇場で二七日に「帰ってきたウルトラマン」最終回が放送された。

第51話「ウルトラ五つの誓い」(脚本/上原正三 監督/本多猪四郎)

この回は見たときの自分の年齢によって毎回受ける印象が変わってくる不思議なエピソードでもあるのだが、今改めて見てみるとこれは郷秀樹(ウルトラマン)と次郎君、その2人だけのための物語だったように思えてならなかった。

そこには「ヒーローものの最終回」という括りとは別の「疑似親子関係の決着の付け方」とでも言うかな、それをあくまでも「ウルトラマン」を見ている体の子供に対して大人側が言いたいことを父性目線で投げかけたように思うのである。

正直自分が子供時代この回を見たときは「はぁ?”腹ぺこのまま学校へ行かぬ事”ってなんだよ?子供やと思てナメとったらアカンぞゴラァ!!(--#)(ヤなガキだったなあ・・・)」と、残念な事に当時の番組スタッフ(大人達)の思いは我が輩にまったく届きはしなかったが(__;) 今この年になってみればコレが何を意味しているのかは朧気に見えてくるものがあって、要するによんどろこのない事情で子供と別れなければならない父親(或いは保護者に当たる男性の身内)が子供に何かを伝えたい時に「自分なら(←敢えて上原先生のお言葉だと仮定しますが)こうするよ」と言う一種の提示だったような気がするのだ。

IMG_2332.jpgこのことは切通理作の著書「怪獣少年の<復讐>」の中で行われた切通氏と作家の福井敏晴との対談中で福井氏がまったく同じ事を仰っているのだが(右画像参照)読めば読むほど成る程なと思わずにはいられない一節だったので、興味ある人はこの後の私の能書きなどはすっ飛ばして( ̄▽ ̄;)こちらの本を読んでください(該当記事は318頁より)

特に番組中の彼らの関係性を考えれば次郎君サイドで見ていた郷という人間は最初こそ姉の恋人で兄の仕事仲間であり、もう1人の兄貴みたいに思えた存在だったのがMATに入ったことにより次第に憧れへと転化し、兄姉が殺され天涯孤独となったあとでも最後には本当に自分の保護者(家族)になってくれたわけで、そうした人と唐突に別れなければいけない事態に直面した彼からすればこの状況を自分の中でどう処理すれば良いのか、たぶん全然わからないことだったと思うのですわ。

※次郎君の郷に対する想いがわかりやすいのは第19話「宇宙から来た透明大怪獣」(脚本/上原正三 監督/鍛冶昇)の中でまだ健在だった次郎の兄・健(岸田森)から語られる「次郎の机の上にはね、オマエ(郷)の写真が飾ってあるんだよ。学校へ出かけるときは"行って参ります"、帰ってくれば"ただいま"と挨拶をおくっている・・・次郎にとってオマエは心の支えなんだ、夢なんだ!」という言葉で、これがすべてを物語っているような気がするのだよ。

そんな流れで最後の最後に郷から伝えられることは「大きくなったらMATに入れ」と"新たなる夢"を与えてやることであり、そのためにオマエはいま子供なりにできることを一生懸命やれよと、それを多分日頃から次郎君に語っていたであろう「ウルトラ五つの誓い」(参考画像には写ってないけど5つめは"土の上で裸足で走り回って遊ぶこと")に込めていたハズなのだ(と、我が輩は思っているのだけどね)

だから別れの間際でも郷は笑顔で「グッバイ次郎」と爽やかに接してくれたのだろうし、その態度には自分が居なくなってもきっと次郎君なら立派な大人になってくれるという確信(そして願望)があらわれていたと思うのである(ウルトラマンとなって地球を去る郷を泣きながら追いかけ「ウルトラ5つの誓い」を暗唱絶叫する次郎君の姿にはそれが伝わっていたことを感じさせる)

今回はそんなことをいろいろと考えながらしみじみし見てしまったのだけど、こういう風に作品を眺めていると今まで気になっていたバット星人の酷いデザイン(子供の落書きみたいな宇宙人だったなあ~( ̄▽ ̄;))もゆるキャラみたいな二代目ゼットンの造形もぜんっぜん許容範囲におさまってしまうから不思議。

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なんにしろウルトラシリーズの最終回としてはかなり異質で独特な終わり方をしているので(子を持つ父親なら間違いなく泣けるな(ノД`))もしまだ見たこと無いという方がおられたらぜひ一度は鑑賞していただきたいなと思います。そんな新マンをイージーに見る方法としては現状以下の通り。

・CS放送 ファミリー劇場・・・2/10(土)17時より第一話から2本ずつ放送再開

・地上波 テレビ神奈川・・・1/7(日)22時30分より週一で放送中(今日現在で4話まで放送済み)

・各オンデマンド配信サービス・・・Amazonプライム/hulu/NETFLIX ほか

そして次週2/3からはファミ劇で「ウルトラマンエース・HDリマスター版」の放送がスタートする。

例によって2本ずつのオンエア(しかも10日からは17時~19時がウルトラ4本立て(「帰ってきた」「エース」が連続放送になる編成)となる濃さで(__*)なんとそれ以外にもファミ劇では来月から「ウルトラQ」と「ウルトラセブン」のHDリマスター版を放送再開するらしく、まさにウルトラづくしの2月となりそうな気配。

そんなわけで次回の記事では「エース」で自分の好きな回をいくつか取り上げてみるつもりだ。


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ネズミ印だとこうも変わっていくのか

今年最初に見た映画は「スターウォーズ・最後のジェダイ」になった。

最初に書いてしまうけど我が輩はこれダメでしたわ(゜´Д`゜) なのでこの後の記事はネガティブな言葉がだらだらと続いていく可能性が高いので、未見の方はここからスルーしてくださいませ(いちおうストーリーの根幹に触れるようなことは書かないつもりだけど)


実は見てきてから既に一週間以上が経っているのだけれども前記事である「GODZILLA」の感想と同様に今回も自分のリアクションに自信が無いと言うか、この映画に全然ノレなかった己の感性は果たしてどうなんだと自問自答したくなるほど消化不良の状態が今日まで続いていたのであった。

前作である「フォースの覚醒」はなんだかんだ言ってもハン・ソロとレイア姫の復活にワクワクしたし(言い方悪いけどさすがは腐ってもハリソン・フォードだと)新しい主役であるレイ(デイジー・リドリー)とフィン(ジョン・ボイエガ)とBB-8のトリオも良いメンバーだなと思っていて、脇ではキャプテン・ファズマみたいな華のある敵キャラが登場したのも歓迎できる要素だったと思うのである(我が輩ホントはカイロ・レンよりこっちを前面に出してほしかったのだが)

何より「フォースの覚醒」はまさかの新シリーズ復活によるお祭り気分が充満した映画だったと思うのだよ。翻ってこの「最後のジェダイ」では"もうひとりのなんだかんだ"であるルーク・スカイウォーカーが全然かっこよく映っておらず、我が輩は彼に向かって「さすがは腐ってもマーク・ハミル」とはこれっぽっちも思えなかったのですわ。

ルークがひとり隠遁生活を送っていたわけも「え?そんなちっちやい理由で?」(;゜ロ゜)てな感じだったし(レイの至極まっとうな説得(父親のベイダーを改心させた貴方ならなんでもできるとレイに説教(?)されていたのはまさしくそのととおりやないかい!と観客全員からツッコまれたんじゃないか)を聞いていると、彼女と一緒になってキミは今までいったい何を引き籠もっていたのかと言ってやりたい気分になる。

そもそも自分にとってはヒーロー以外の何物でも無かったルーク・スカイウォーカーが半ば人生をドロップアウトした偏屈ホームレス爺ちゃんみたいな描き方をされたのはあまりにも納得がいかない。たとえ30年以上の年月が経過していようとも少しくらいかつてのルークらしさを見せてくれても良かったんじゃないのかと、ここはめっちゃ物申したい気分になってしまった(オビワン風のキャラ変ならまだ許せたのに。あと、R2D2との邂逅で彼がルークを説得するのに使った「Ⅳ」のときのレイアのホログラフ(「ヘルプ・ミー・オビ・ワン・ケノービ」)を見て「ずるいぞ」と苦笑して返すところはすごい良かったけどね)

だいたい今度のファースト・オーダーにしろレジスタンスの側にしろ、ものすごい所帯の小さいグループ同士が小競り合いをしているように見えてしまって、その煽りでどのグループのリーダーも全部小物感が強くなってしまっているのね(カイロ・レンを筆頭に皇帝もどきのスノーク(この名前聞くと「ムーミン」に出てくるヤツを思い出すな)も然り、レイアの代行で指揮を執るホルド中将(ローラ・ダーン←だいたいアンタ誰やねん?と言いたくなる唐突な登場の仕方。好きな女優さんだけにこの起用はちょっとどうなのかと)もそう。ここは彼女じゃなくアクバー提督で良かったんじゃないのか。

それと私がいちばん乗り切れなかったのは主要キャラ達の魅力の無さという点で、前回良かったレイは特に理由もなく強いフォースを持っていることになっていたり(新時代の若者はジェダイの血脈を持たなくともフォースを持って生まれてくるという事なのかもしれないけど←ラストに登場した子供もそういうことなのかなと。今後こういう新時代のジェダイは大量に誕生するという暗喩だったのかも)「なんで彼女なのか」という理由付けが一切無いまま中心人物になってしまっていたのが違和感ありあり(あの程度の修行で確変モードになっちゃったの?みたいな)

で、フィンにいたっては活躍殆ど出来ず印象に残ったのはなんだい彼はブス専(こういう言い方ってほんと失礼で申し訳ないと思うけど、私はローズ役のケリー・マリー・トランがちっとも可愛く見えなかったのだよ( ̄。 ̄;))だったんかということくらい。私のお気に入りだったファズマも「あんなこと」になってしまったしなあ・・・

もともと我が輩は前作からアダム・ドライバー演じるカイロ・レン(こんな青びょーたんみたいな子が今後も悪役として話の中心に居ていいのかね)とポー(オスカー・アイザック)は全然気に入っていなかったし、今回もローズを筆頭にDJ(ベニチオ・デル・トロ)、宇宙鳥(?)のポーグ、宇宙狐(??)のヴァルプテックス、と見事なくらい好きになれるキャラを見つけることが出来なかったのだった(個人的に唯一気に入ったのがルークの居た星の魚みたいな原住民で、少し砂男の焼き直しぽかったけどアレはなかなかおもしろかった)

こうなってくると映画に対して思い入れを抱くのはけっこう難しくなってくるし、ドラマ以外でも戦闘シーンが「ジェダイの復讐」のリメイクみたいな絵になっていたのが既視感強くて(あれは狙いとして敢えてやってるのかな~)「フォースの覚醒」「ローグワン」で見せてくれたような「おおっ」という新味のある映像(見せ方)もあまりなかったような気がするのだ。

全体的には銀河の中心と言うよりは隅っこの方で揉め続けているイメージとでも言おうか、我が輩にはどうにもスケールの拡がりを感じられない物語だったように思えたのである。

まあどんなシリーズでも三部作の真ん中というのは「こういうもの」(中途半端に終わっていくもの)なのかもしれないのだけど、スターウォーズという大河物語が変節の時期に来ているのは間違いないところなのだろう。きっと次のエピソードでいったん完結した後は何のしがらみもない(旧作のキャラが一人も出てこないような)まったく新しいスターウォーズが作られていくのではないだろうかね(ディズニーの事だからたぶん商売になるうちは延々と続いていくのだろうし(^_^;)そうすりゃいずれは我が輩みたいなじーさんファンからあーだこーだ言われることも無くなるだろうしねー・・・)

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アースが生んだ怪獣はGODZILLA

劇場で見た映画の記録がメインのつもりのはずのこのブログで思いっきり書き漏らしていたのだけど、昨年最後に行ったのは「GODZILLA-怪獣惑星-」だったのである(これは12月中旬頃の話)



なんで直ぐ感想を書かなかったかと言えば、鑑賞直後に自分の中でこの映画を旨く処理できなかったというか、なんだか「面白くないと感じているのは(あ、書いちゃった(__*))ひょっとして俺だけか?」みたいな、世間様の高評価と乖離した己の反応に今ひとつ自信が持てなかったこともあったのだろう。

言い訳がましいことを書くけど、我が輩今度のアニメ版ゴジラについては特撮ファンの立場からしてもかなり期待していた一人なのである。老害怪獣マニアにありがちな「実写でないのはけしからん」みたいなことを言うつもりもさらさらなかったし、寧ろアニメならではの表現で描かれるゴジラがどうなるのかという、鑑賞前はそうした期待値の方が高かったハズなのだ。

事前に聞いていたストーリーの概略も悪くないと思っていたし、予告で見たゴジラのビジュアルもレジェンダリー版と「シン・ゴジラ」の折衷調にも思えて、こいつがいったいどういう動きを見せてくれるのか、見に行く前からかなりワクワクしていたのであった。

うーむ(--)(__)それがいざ本編が始まるとどうも自分の視聴生理に一向にシンクロしてくれず、90分という短い上映時間がとてつもなく長く感じられるという、怪獣映画を見に来てまさかの苦痛を感じるハメになってしまったのであります(__*)

こういうのは単に好みの問題と言ってしまえば良いのかもしれないが(或いは現代SFアニメに対する免疫があまりないと思った方が良いのか)私が感じたこの映画のトータルイメージは主人公のハルオが状況説明と心情吐露的な台詞をとにかくひたすら喋り続けているという印象で、極端なことを言うと「GODZILLA-怪獣惑星」の原作本を朗読されているかのような(或いは恐ろしく出来の良い紙芝居を見に来たような)そんな気分に陥ってしまったところもあったのである。

まあこの尺でこれだけの事情(設定)説明をやろうと思えばどうしたって台詞で語るしか術がないのはわかるのだけど、だったらどうして劇場映画ではなくテレビシリーズにしなかったのかとか、映画でやるなら最低この倍の上映時間を使う必要があったのではないかと思わずには居られなかった(三部作でやるなら全部でちょうど10時間くらいに収まるようにすれば良かったのでは)その意味でこの映画に感じた拒否反応的な煩わしさはまるで聞く気のなかったを講談を延々と聞かされた気分に近かったのかもしれない。

但し映像としては見るべきところもかなりあって、例えば人類がゴジラの脅威から逃れて宇宙難民になるというくだりは少し「バトルスター・ギャラクティカ」を彷彿させて悲壮感も相当なモノがあったと思ったし、先に書いたような"アニメならではの怪獣表現"についてもゴジラの巨大感、恐怖感、そして無双ぶりという点に於いては直近の実写版二作に匹敵していたようにも感じられたのだった(上の予告動画にもあるゴジラが空港を襲うシーンなどは特に)

これに続く5月公開予定のパート2である「GODZILLA-決戦機動増殖都市」(なんか「エヴァンゲリオン」のサブタイみたいだな(°°;))にはメカゴジラも登場すると言うことでそれなりの楽しみはあるのだが、今のところ続編に行くかどうかは思案中。

そしてなんとこの「GODZILLA-怪獣惑星-」が明日17日からNETFLIXにて全世界一斉配信開始となるらしい。私が見てきたのがまだ一月前だったというのに(;゜ロ゜)なんちゅう早さやねんという気もしているが、契約者の方は明日以降チェックされたし(無料体験の人も視聴可能)このペースでどんどんシリーズを配信してくれるならこっちで見ていくのもアリだな。

NETFLIX
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