You talkin' to me ? 2nd_新たなる驚異を求めて

見た映画・テレビの話をだらだら且つのんべんだらりと綴るブログ

Sort by ◆超銀幕無法地帯・激動編=劇場で見た映画の話

Category: ◆超銀幕無法地帯・激動編=劇場で見た映画の話  

目指せ!スーパーセンテナリアン

少し前のことだが夫婦で「四万十~いのちの仕舞い」という映画をイオンシネマで見てきた。

中身は高知県・四万十で奮闘するひとりのお医者さんを追いかけた地方のドキュメンタリー映画で、こういうのを徳島で上映するのはきわめて珍しいことなのだけど、おそらく四国つながりでイオンシネマ徳島が作品選定したのではないかと思うのである(シネマサンシャインだとまずこの手はやらない)

この映画に関して私自身は特に見ようと思っていたわけではなく、家内からの要望で劇場に行ってみることになったのだった。なんでも朝日新聞のコラムを本作の出演者である内科医の小笠原望さんが書いているらしく(タイトルは「診療所の窓辺から」)家内はそれを毎回楽しみに読んでおり、その人が出ている映画ならぜひ見てみたいと心が動いたそうである。

我が輩はいい年して新聞を熱心に読まない人なので(ニュースソースとしての役目は既に終わっていると思っているし(ーー;))家内に言われて初めてそんな映画があるのを知ったのだけど、いままであまりこのブログでは書いてなかったが、もともとドキュメンタリーというジャンルは好きだったので(BS系のドキュメント番組は割とマメに見ているのだよ)今回の鑑賞要請もけっしてやぶさかでは無かった。



映画の方は先に書いた小笠原先生の診療の模様を淡々と見せていくもので、患者さんひとりひとりとのやりとりをあまりを頻繁にカットを変えることもなく、それこそ一緒にその場で診察を見ている家族の気分になれるような作り方になっている(ドキュメンタリーだからというのもあるが、BGM等の効果は殆ど付けられていない)

※小笠原先生は1951年高知県生まれの現在67歳。四万十市内の内科クリニックにお勤めで今は主に在宅介護をされているお年寄りの訪問診療を行っている(老人ホームへの訪問も多いようだ)理想論ばかりではなく現場のリアルも十分に承知したそのスタイルは実に柔軟かつ自然体。また本人のキャラが木訥さの中に飄々としたところもあってか人を惹き付ける魅力をとても有した方で、それだけでこの映画は最後まで見られる力を持っていたと思うのである。

訪問先のお年寄りは田舎と言うこともあるのかスゴい高齢の方が多く、中には104歳(ーー;)というおばあちゃんが居られたりするのだが、基本小笠原さんのスタンスが「無理な延命措置はせず苦しむ事無く自然に寿命を全うし、最後は自宅で家族に看取られたほうが良いのではないか」というもの(むろん延命措置の判断は家族に確認を取ってからではあるが本人、廻りの家族含めて少しでも穏やかな最後を迎えて欲しいといった考えた方が根底にあるように思えた)

そのためか訪問先では治療、診療がメインと言うよりは寧ろお年寄りの顔を見て長時間話を聞いてあげ、如何にリラックス(または発散)してもらうかという事を親身になって行っており(ある種のカウンセリングになっているのだろうなあ)その人柄が伝わっているのだろうと思うのだがどこのお年寄りも「先生に見て欲しい」という人がほとんど。

老人ホームにいた認知症のおばあちゃんなどでも初回診療の際は睨むように小笠原さんを見ていたのが何度目かからは完全に心を許した雰囲気になってきて、たとえボケていてもそういた好意・熱意はなんとなく届くようになっているんだなと感心させられてしまった。

それでなるほどなと思ったのは小笠原さんは診療時にマスクを着用せず顔をすべて出した状態で患者さんに対峙していて、これは昨今の感染症に対するケアとして医療関係者がそれをしていないのはどうなのかという声もあるとは思うのだけど、わたしは敢えて小笠原さんは自分の表情が常にわかるような状態を作って文字通りフェイストゥフェイスで接しているのではないかと言う気がしたのである(劇中でそう言及されていたわけではないが)

特に超・高齢の方であればあの薄いマスク一枚が壁のように感じられて心を開いてくれないのではという事もあるだろうし、言ってしまえば余生が短いであろう人たちに対して廻りが神経質になりすぎるのも良くないのかなと、先生の態度を見ているとそういうことも感じてしまうのであった。

本編の中では訪問診療をしていた方が何人か亡くなられて、中にはその臨終の間際にカメラが出くわすこともあったりするのだがそこに悲しみはあまりなく、むしろ「よく頑張ったね」という労いの空気があふれていたように私には思えたのである(遺族の方と小笠原さんとの会話もそこには収められていたが皆が皆穏やかな表情を見せて故人を偲んでいたのが何をか況んやだったのではないか)

この映画を見たら薬漬けになって病院に何年も入院し、寝たきりで喋れない動けない、でも生きている、みたいな老後は送りたくないなとすっごい思ってしまった。天命が何歳かは関係なく、己の寿命が近づいて来たときは私も小笠原先生みたいな人の世話になって家族に看取られながら最後を迎えたい物だなと(そのためには独居老人にならないようにせんとね(__;))

で、内容的にはすごく良いドキュメンタリーだったなと感じたのだけど、冒頭にもっと先生のプロフィール紹介を詳しくやってもらわないとここまでの経緯がなんとなくしかわからないので、そこはDVD化するときに追加してもらった方が良いのではないかと思ったですなあ。

それとこの映画は広いシネコンより地方の公民館とか学校現場とか、そういう所でやったほうが似合っている作品じゃないかという気がしたし、もっと言うと劇場じゃなくテレビでいろんな人に見てもらいたい内容でもあったなと、我が輩そんな風にも感じました。

最後にわりとどうでも良い感想を付け加えておくと、小笠原さんが訪問診療に使っているマイカーがHONDAの"life"(人生)だったのがなんかよく出来た話だなーと・・・( ̄。 ̄;)
Category: ◆超銀幕無法地帯・激動編=劇場で見た映画の話  

ネズミ印だとこうも変わっていくのか

今年最初に見た映画は「スターウォーズ・最後のジェダイ」になった。

最初に書いてしまうけど我が輩はこれダメでしたわ(゜´Д`゜) なのでこの後の記事はネガティブな言葉がだらだらと続いていく可能性が高いので、未見の方はここからスルーしてくださいませ(いちおうストーリーの根幹に触れるようなことは書かないつもりだけど)


実は見てきてから既に一週間以上が経っているのだけれども前記事である「GODZILLA」の感想と同様に今回も自分のリアクションに自信が無いと言うか、この映画に全然ノレなかった己の感性は果たしてどうなんだと自問自答したくなるほど消化不良の状態が今日まで続いていたのであった。

前作である「フォースの覚醒」はなんだかんだ言ってもハン・ソロとレイア姫の復活にワクワクしたし(言い方悪いけどさすがは腐ってもハリソン・フォードだと)新しい主役であるレイ(デイジー・リドリー)とフィン(ジョン・ボイエガ)とBB-8のトリオも良いメンバーだなと思っていて、脇ではキャプテン・ファズマみたいな華のある敵キャラが登場したのも歓迎できる要素だったと思うのである(我が輩ホントはカイロ・レンよりこっちを前面に出してほしかったのだが)

何より「フォースの覚醒」はまさかの新シリーズ復活によるお祭り気分が充満した映画だったと思うのだよ。翻ってこの「最後のジェダイ」では"もうひとりのなんだかんだ"であるルーク・スカイウォーカーが全然かっこよく映っておらず、我が輩は彼に向かって「さすがは腐ってもマーク・ハミル」とはこれっぽっちも思えなかったのですわ。

ルークがひとり隠遁生活を送っていたわけも「え?そんなちっちやい理由で?」(;゜ロ゜)てな感じだったし(レイの至極まっとうな説得(父親のベイダーを改心させた貴方ならなんでもできるとレイに説教(?)されていたのはまさしくそのととおりやないかい!と観客全員からツッコまれたんじゃないか)を聞いていると、彼女と一緒になってキミは今までいったい何を引き籠もっていたのかと言ってやりたい気分になる。

そもそも自分にとってはヒーロー以外の何物でも無かったルーク・スカイウォーカーが半ば人生をドロップアウトした偏屈ホームレス爺ちゃんみたいな描き方をされたのはあまりにも納得がいかない。たとえ30年以上の年月が経過していようとも少しくらいかつてのルークらしさを見せてくれても良かったんじゃないのかと、ここはめっちゃ物申したい気分になってしまった(オビワン風のキャラ変ならまだ許せたのに。あと、R2D2との邂逅で彼がルークを説得するのに使った「Ⅳ」のときのレイアのホログラフ(「ヘルプ・ミー・オビ・ワン・ケノービ」)を見て「ずるいぞ」と苦笑して返すところはすごい良かったけどね)

だいたい今度のファースト・オーダーにしろレジスタンスの側にしろ、ものすごい所帯の小さいグループ同士が小競り合いをしているように見えてしまって、その煽りでどのグループのリーダーも全部小物感が強くなってしまっているのね(カイロ・レンを筆頭に皇帝もどきのスノーク(この名前聞くと「ムーミン」に出てくるヤツを思い出すな)も然り、レイアの代行で指揮を執るホルド中将(ローラ・ダーン←だいたいアンタ誰やねん?と言いたくなる唐突な登場の仕方。好きな女優さんだけにこの起用はちょっとどうなのかと)もそう。ここは彼女じゃなくアクバー提督で良かったんじゃないのか。

それと私がいちばん乗り切れなかったのは主要キャラ達の魅力の無さという点で、前回良かったレイは特に理由もなく強いフォースを持っていることになっていたり(新時代の若者はジェダイの血脈を持たなくともフォースを持って生まれてくるという事なのかもしれないけど←ラストに登場した子供もそういうことなのかなと。今後こういう新時代のジェダイは大量に誕生するという暗喩だったのかも)「なんで彼女なのか」という理由付けが一切無いまま中心人物になってしまっていたのが違和感ありあり(あの程度の修行で確変モードになっちゃったの?みたいな)

で、フィンにいたっては活躍殆ど出来ず印象に残ったのはなんだい彼はブス専(こういう言い方ってほんと失礼で申し訳ないと思うけど、私はローズ役のケリー・マリー・トランがちっとも可愛く見えなかったのだよ( ̄。 ̄;))だったんかということくらい。私のお気に入りだったファズマも「あんなこと」になってしまったしなあ・・・

もともと我が輩は前作からアダム・ドライバー演じるカイロ・レン(こんな青びょーたんみたいな子が今後も悪役として話の中心に居ていいのかね)とポー(オスカー・アイザック)は全然気に入っていなかったし、今回もローズを筆頭にDJ(ベニチオ・デル・トロ)、宇宙鳥(?)のポーグ、宇宙狐(??)のヴァルプテックス、と見事なくらい好きになれるキャラを見つけることが出来なかったのだった(個人的に唯一気に入ったのがルークの居た星の魚みたいな原住民で、少し砂男の焼き直しぽかったけどアレはなかなかおもしろかった)

こうなってくると映画に対して思い入れを抱くのはけっこう難しくなってくるし、ドラマ以外でも戦闘シーンが「ジェダイの復讐」のリメイクみたいな絵になっていたのが既視感強くて(あれは狙いとして敢えてやってるのかな~)「フォースの覚醒」「ローグワン」で見せてくれたような「おおっ」という新味のある映像(見せ方)もあまりなかったような気がするのだ。

全体的には銀河の中心と言うよりは隅っこの方で揉め続けているイメージとでも言おうか、我が輩にはどうにもスケールの拡がりを感じられない物語だったように思えたのである。

まあどんなシリーズでも三部作の真ん中というのは「こういうもの」(中途半端に終わっていくもの)なのかもしれないのだけど、スターウォーズという大河物語が変節の時期に来ているのは間違いないところなのだろう。きっと次のエピソードでいったん完結した後は何のしがらみもない(旧作のキャラが一人も出てこないような)まったく新しいスターウォーズが作られていくのではないだろうかね(ディズニーの事だからたぶん商売になるうちは延々と続いていくのだろうし(^_^;)そうすりゃいずれは我が輩みたいなじーさんファンからあーだこーだ言われることも無くなるだろうしねー・・・)

Category: ◆超銀幕無法地帯・激動編=劇場で見た映画の話  

アースが生んだ怪獣はGODZILLA

劇場で見た映画の記録がメインのつもりのはずのこのブログで思いっきり書き漏らしていたのだけど、昨年最後に行ったのは「GODZILLA-怪獣惑星-」だったのである(これは12月中旬頃の話)



なんで直ぐ感想を書かなかったかと言えば、鑑賞直後に自分の中でこの映画を旨く処理できなかったというか、なんだか「面白くないと感じているのは(あ、書いちゃった(__*))ひょっとして俺だけか?」みたいな、世間様の高評価と乖離した己の反応に今ひとつ自信が持てなかったこともあったのだろう。

言い訳がましいことを書くけど、我が輩今度のアニメ版ゴジラについては特撮ファンの立場からしてもかなり期待していた一人なのである。老害怪獣マニアにありがちな「実写でないのはけしからん」みたいなことを言うつもりもさらさらなかったし、寧ろアニメならではの表現で描かれるゴジラがどうなるのかという、鑑賞前はそうした期待値の方が高かったハズなのだ。

事前に聞いていたストーリーの概略も悪くないと思っていたし、予告で見たゴジラのビジュアルもレジェンダリー版と「シン・ゴジラ」の折衷調にも思えて、こいつがいったいどういう動きを見せてくれるのか、見に行く前からかなりワクワクしていたのであった。

うーむ(--)(__)それがいざ本編が始まるとどうも自分の視聴生理に一向にシンクロしてくれず、90分という短い上映時間がとてつもなく長く感じられるという、怪獣映画を見に来てまさかの苦痛を感じるハメになってしまったのであります(__*)

こういうのは単に好みの問題と言ってしまえば良いのかもしれないが(或いは現代SFアニメに対する免疫があまりないと思った方が良いのか)私が感じたこの映画のトータルイメージは主人公のハルオが状況説明と心情吐露的な台詞をとにかくひたすら喋り続けているという印象で、極端なことを言うと「GODZILLA-怪獣惑星」の原作本を朗読されているかのような(或いは恐ろしく出来の良い紙芝居を見に来たような)そんな気分に陥ってしまったところもあったのである。

まあこの尺でこれだけの事情(設定)説明をやろうと思えばどうしたって台詞で語るしか術がないのはわかるのだけど、だったらどうして劇場映画ではなくテレビシリーズにしなかったのかとか、映画でやるなら最低この倍の上映時間を使う必要があったのではないかと思わずには居られなかった(三部作でやるなら全部でちょうど10時間くらいに収まるようにすれば良かったのでは)その意味でこの映画に感じた拒否反応的な煩わしさはまるで聞く気のなかったを講談を延々と聞かされた気分に近かったのかもしれない。

但し映像としては見るべきところもかなりあって、例えば人類がゴジラの脅威から逃れて宇宙難民になるというくだりは少し「バトルスター・ギャラクティカ」を彷彿させて悲壮感も相当なモノがあったと思ったし、先に書いたような"アニメならではの怪獣表現"についてもゴジラの巨大感、恐怖感、そして無双ぶりという点に於いては直近の実写版二作に匹敵していたようにも感じられたのだった(上の予告動画にもあるゴジラが空港を襲うシーンなどは特に)

これに続く5月公開予定のパート2である「GODZILLA-決戦機動増殖都市」(なんか「エヴァンゲリオン」のサブタイみたいだな(°°;))にはメカゴジラも登場すると言うことでそれなりの楽しみはあるのだが、今のところ続編に行くかどうかは思案中。

そしてなんとこの「GODZILLA-怪獣惑星-」が明日17日からNETFLIXにて全世界一斉配信開始となるらしい。私が見てきたのがまだ一月前だったというのに(;゜ロ゜)なんちゅう早さやねんという気もしているが、契約者の方は明日以降チェックされたし(無料体験の人も視聴可能)このペースでどんどんシリーズを配信してくれるならこっちで見ていくのもアリだな。

NETFLIX
画像1

Category: ◆超銀幕無法地帯・激動編=劇場で見た映画の話  

知る覚悟はないけど見てきたよ

なかなか行くことが出来なかった「ブレードランナー2049」をやっとこさ見てきた。

徳島ではイオン/シネマサンシャインの二館が上映をしていたのだけど、まずイオンが早々に公開を終了しシネサンも最終日を12/8までと告知していた。我が輩平日のレイトで行こうと思っていたのに、気がつけばシネサンでも上映時間が17時の回のみになってしまい、仕方なく2日の土曜日に駆けつけることになってしまったのだった。

これって余所はどうか知らないけど要するにお客さんが入らなかったと言うことか??私が行った日も客入りは芳しくなく、たぶん10人居たかどうかと言う程度だったし・・・と、最初からネガティブな事をつらつらと書いてしまったが映画の方はこれがどうしてなかなかの良作で、パート2ものという観点で考えてもかなり上の部類に入る作品だったとわたしは思うのである(なんでもっとお客さんが来なかったのか不思議なくらい)

びっくりするのは前作とのインターバルが35年もありながら、その世界観がさほど変わっていないというか、おそらく「ブレードランナー82」を見た直後にこの「2049」を見た人が一番面白く感じられるのではないかというくらい”地続き感”が濃厚。

わたしは監督を本家本元のリドリー・スコットではなく前作の大ファンだと公言するドゥニ・ヴィルヌーヴにしたのは大成功だったと思っているのだが、なにせ彼は「「2049」は前作へのラブレターだ」と言っていたくらいの人なので、おそらく旧作に対する思い入れはリドリー・スコット以上の物があったはずなのである(ブレランが好きでこの映画を見た人ならたぶん皆そう感じるだろうし、ある意味ドゥニ監督に対して「お仲間ですやん」と親しみすらわくのではないだろうか)

いちいちうまいなと想ったのは前作の回収を少しずつやりながらぼやかして良い所はぼやかしたままにしておき、そのうえで新主人公K(ライアン・ゴズリング)の物語をじっくりと見せていくその手法。それは昨今の落ち着きの無い映画群と違い、腰を据えて画面に集中することができるものだったと思うのである。

それでわたしがこの映画で一番うーむと唸ったのは、レプリカントであるK(この名前が原作者のフィリップ・K・ディックからとったというのは人に言われるまで気がつかず(;゜ロ゜)どんだけ鈍いねんと言われそうだな・・・)の異常なまでの孤立感がSF映画なのにとてつもなくリアルに生々しく伝わってきたところにあった。

それは最初から廻りも本人も彼が「人間では無いことがわかっている」というのを前提としたことによってプライベートでは明らかな差別を受け(「人間もどき!」とか平気で言われてしまうわけですわ)職務としても己の感情を殺した状態で毎回テストをパスしなければならず(そもそも人造人間として必要の無いはずの感情を持っている事が彼にとっては理不尽なはなし)自分の存在意義が「便利に使われること」以外の何物でもないとわかった上で生きていかねばならない絶望混じりの達観というのはとんでもない虚しさがあったと思うのである。

まんまではないにせよ例えばこの状況は客先常駐で仕事をしている私もそうだし(現場に同胞は誰もおらず「言われたことだけをやらなければならない」また、「たとえプラスになろうと言われてもないことをしてはならない」という状況はやや酷似しているかも)、コレはほかにも海外から来て働いている人なんかもそうかもしれないが、そういった「外から持ってきた歯車」的なポジションに居る者からすると"K"の日常はまったく人ごととは思えない気がするのだよ。

そこいらの描写を冒頭でしつこいくらい見せてもらえたせいで彼がひょんなことから「自分は特別な存在かもしれない」と中二病を発症してしまうのも心情的にモノスゴクわかる部分だったし、観客目線で捉えてもKの夢物語を一緒に探しに行ってやりたいと思わせるに十分な餌巻きだったようにも感じられたのだった。

なので巷で聞こえていた三時間近いランニングタイムに対する「長い」「眠い」と言った大多数の簡易レビューはKに同化して映画を見ることさえできれば一切気にならないものだったと思うのである(あれならあと1時間あっても大丈夫なくらいだった)

それともうひとつ書いておかなければいけないのはKの恋人でもあるAI(彼女はプログラムなので実体は無い)、ジョイ(アナ・デ・アルマス)の存在で、我が輩新作映画見に来てこんなに女性キャラに心が動いたのはホントに久しぶり。とにかくこのお人形さんのようなビジュアルは言うに及ばず、劇中で見せるその健気ぶりというか尽くしっぷりというか、調べたわけじゃないけど何処か旧来の大和撫子的な設定が用意されていたのではと思わずには居られなかった(売春婦に自分の映像を同期させて形だけでも愛されようという行動が切なくもいじらしい(ノД`))

※プロフィールを調べると現在29歳でバツイチ子供ありのシングルマザーとか。巨大な全裸ホログラフとなって登場するシーンを見たら「よっ、ナイスバディ!」と大向こうから声をかけたくなるほどの美しさでしたな(__*)もう我が輩すっかりこのコの大ファンになってますわ。

で、おそらくこの映画は「人間ではない」Kやジョイが「それでも人間になりたい」と願うピノキオストーリー(この定番テーマじつは我が輩好きなのだよ)にもなっていると思うのだけど、それにプラスしてビジュアルSF映画(および特撮映画)としても素晴らしい映像を次々に見せてくれたし(市街地は昔ながらのミニチュアも使っていたそうだが2049年のロスやラスベガスが実景にしか見えないのもすごかったし、なによりスピナーの動きが自然すぎるのも驚いた)そのへん含めて個人的にはすごく満足できる内容だったと思っているのだ。

ストーリー面では未回収の部分も多々あるけれども、これは上でも書いたようにKの夢を追う物語(まさに「アンドロイドは○○の夢を見るか」状態←この場合○○の部分には木馬とかが入るのかな??)なので、そこだけ見ればちゃんと完結していると言えるし、ほったらかしにされた気分にはならないはず。

繰り返しになるけど前作が好きな人なら見ておいてソンはない映画だと言い切っておきましょう。

あと、コレはどうでも良いことだが(°°;)私はガフ(エドワード・ジェームズ・オルモス)が再登場したのが一番嬉しかったりする

それと「ブレードランナー2049」には前日譚となる三つの短編が存在するので、これを全部見てから本編を見た方がより楽しめると思われます(参考動画は「ブラックアウト2022」→「2036:ネクサス・ドーン」→「2048:ノーウェア・トゥ・ラン」の順番で)なんとなくDVDにも収録されるような気はするけど。

 

 

Category: ◆超銀幕無法地帯・激動編=劇場で見た映画の話  

グレーに煙った下水見て、飲み干す鮮血苦いよ

平日月曜のレイトショー、客もまばらなシネサン北島で「IT~”それ”が見えたら終わり」(しかしまあクドい邦題だよな(__;))を見てきた。

スティーヴン・キング愛好家としてさすがにこのタイトルをスルーするわけにはいかず、仕事の疲れもなんのそのと劇場へ向かったわけであります。一昔前ならキング原作の映像化はほぼハズレと言われることが多かったものだけど、「スタンド・バイ・ミー」「ショーシャンク」あたりから若干風向きが変わってきたのか昨今ではそういう声もあまり聞かれなくなったので。

IMG_2253.jpgこの「IT」で言えば最初の翻訳版が出たのがもう何年前になるかな?ごっついハードカバー(アレは殺傷能力がある重さでしたわ)の上下で確か両方買うと6000円くらいになる値段だったためそのときは買わず、4巻に別れて文庫化された際に入手したのである(文庫本の奥付見たら94年12月とある)

正直途中少しダレる所はあったのだが読後は小さな大河ドラマを読み切った満足感でいっぱいになっていたのであった。あの頃我が輩は10代後半から発生した第2次読書旺盛気が続行中で、特にスティーヴン・キングの本については17歳で最初に読んだ「ファイアースターター」に感動して以来「クージョ」「キャリー」「呪われた街」「デッド・ゾーン」「クリスティーン」「シャイニング」の順番で読みあさり、その自己琴線ヒット率の高さにますますのめり込んだのをよく覚えている(それ以降はけっこう惰性で買い続けていたところもあって、ホントに面白いと感じる率は若干下がってきていたが・・・)

「it」はよく言えば安定期、悪く言えば新鮮味の無くなっていた時期に突入していたキング作品の中では出来の良い部類の小説だと思っていたし、映画化には向いている原作だと当初から感じていた。しかし最初に映像化されたのは映画では無くドラマで(90年に放送された全2回のミニシリーズ)ビデオで見たのかテレビで見たのかあんまり覚えてないけど、中身はほぼ原作に忠実な再現のされ方をしておりそれほど悪くは無いが若干パンチ不足の感が否めない内容でもあったのである(ペニーワイズがちっとも怖くないのがなあ・・・(__;))

ちなみにこのときはその恐怖のピエロ・ペニーワイズを「ロッキー・ホラー・ショー」のティム・カリーが演じており、他ではオリビア・ハッセー、セス・グリーン、アネット・オトゥールと言った日本でもお馴染みの俳優さんが出演していた(↓最下段右の動画がドラマ版の予告)

それ以来実に27年ぶり(この27年というのが劇中でも実に重要な時間←それに合わせた新作公開だったらスゴい狙いだけど)となる今回の映画版はホラー映画としての恐怖度もアップし、ゴア描写も予想の遙か上を行く気合いの入った見せ方になっていて、最初に感じていた「なんで今頃「IT」なの?」という疑念はあっという間に吹き飛んでしまったのだった。

あと原作やドラマ版が大人になった主人公達の回想録でスタートしていたのと違い、今回は少年時代のパートのみを描いているため映画を見ているこちらも「今眼前で起こっていること」として脳内処理が行えていた。そのおかげで安心感的余裕が無く(こんときはたいへんだったけど今はこうだし、みたいな心の逃げ道ってヤツ)怪奇現象がおこるたび、またペニーワイズとの戦いの一部始終をその場で見ているかのような臨場感を持って味わうことが出来たのである。

さほど怖くなかったテレビ版と違い、そうした変更点がより効果的にホラー映画としての質を上げており、現代風のリアルなエフェクトと相まって特に終盤は息つく暇も無い展開となるのがとても良かった思っているし、こういうリメイクのされ方なら大歓迎。

それと内容的な細かいことは書かないけれどもこの映画を見た人であれば殆どの人が同じキングの「スタンド・バイ・ミー」を思い出すことだろう(また、それにプラスしてキング作品ではないが途中からはホラー版「グーニーズ」のような趣も感じられるはずだ)

映画自体はホラーの体ではあるけれどもこの話のキモはやはり「はじかれ少年少女たち(いじめられっ子だったり病弱だったり家庭環境に問題があったりといった今で言う負け組)の友情物語」という部分であり、そこの共感要素が濃厚なせいで数多あるホラー映画(小説)とは一線を画しているのは間違いなく、子役の好演(特にベバリー役のソフィア・リリスが実年齢15歳とは思えない色気と同時に幼さも感じさせる表現をしていたのに感心)もあって我が輩はこの映画版はそこが一番良かったと思っているのである。

ただ原作通りなら話はまだ終わってないわけで、おそらく続編はあると予想しているが、本作のクロージングのさせ方があまりにも爽やかだったため、できればこれはこれで完結してくれた方が良いのになと言う気もしているのだった(__*)

そんなわけで今回はなかなかのアタリだったと言っておきましょう。



1234567891011121314151617181920212223242526272802 < >