思い出話もありですか

おそらく誰も興味がないであろうブログタイトルの謎について書く。前半の”you talki'n to me ?"と言うのはわかる人には直ぐわかる「タクシードライバー」劇中での台詞から引用した物である。では後半の「驚異を求めて」がどこから来たのか?というのを回顧録含めて長々と書いておきたい。

そのむかしほんの少しだけ同人活動なるものをしていた時期がある(と、言っても運営そのものをしていたわけでは無くて単に原稿を送っていただけの話だが。それも昨今のものと違って今で言う「資料性」ジャンルになるほぼ文字だらけの同人誌)それは昭和の怪獣ファンなら殆どの人が知っていたであろう「PUFF」というファンジンへの参加であった。

そもそもこの話を書くに当たってワシの身の回りのことから語らねばならないのだが、ワシは物心着いたころから特撮・怪獣モノが大好きなガキだった。年齢の上昇と共に「そういうモノ」と一度離別はしたものの、思春期を迎える頃あたりにふたたびハマってしまい、そこからオタクの幼年期を迎えてしまったと言って良いだろう。

時間軸で説明すると昭和53~56年頃だったと思うが、ちょうど世間では「第三次怪獣ブーム」などと言う物が叫ばれてテレビでも頻繁な再放送(関西では午後4時半から「帰ってきたウルトラマン」や「ウルトラセブン」等が毎日2話ずつ放送され、17時30分からは別のチャンネルで「ウルトラマン」の再放送がされているという、毎日90分ものゴールデンアワーが形成されていた)があり、出版物でもソノラマの「ファンタスティックコレクション」シリーズでゴジラやウルトラシリーズの子供向けではないアダルトを対象にした研究書的なムックが商業誌としておそらく初めて出版され、それまで怪獣モノ=ガキ向けと思われていた作品群に対してかつての怪獣少年達が(学校などでは良く「怪獣キチ○イ」とか言われていた連中だね(^_^;))「大人が見ても良いんだ」という免罪符を手にしたような、そういう新しい驚きを享受した時期であったとも記憶している。

そしてこの時期にソノラマから創刊されたSF特撮専門誌「宇宙船」創刊号に於いて、ワシは「ファンジン」と呼ばれる同人誌の存在を初めて認識する。それは同好の仲間達がファンクラブを作り、その会報として発行される所謂昔風に言うミニコミ誌と言うヤツのことであった。それによると全国至る所にそういうファンダムが存在し、ファンジンの中では会員達の思いの丈を綴ったエッセイが何十頁にもわたって掲載されているという(「宇宙船」では一部それらの記事が採録されていたがどれもこれも唸るような内容のモノだった←それは現在プロとして活動されている中島紳介さんや石田一さんの文章だったと思う)ど田舎で肩身の狭い思い(中学生にもなって「そんなモノに夢中になるイタイ奴」という偏見にさらされる)をしていたワシにとっては信じられないほど羨ましい話でもあったのである。



実際ワシの廻りでは同好の仲間などという存在は皆無に等しく、幼稚な変わり者扱いを敢えて受け入れクラスの中ではピエロと化すしかなかった自分にとっては堂々とファン活動をしている彼らがほんとに眩しくも格好良く見えて、またそういうグループに入って自分もファンジンを読んでみたいと痛切に思うようになってもいたのだ。

そこで紹介されていたファンジンの中ではやはり圧倒的に「PUFF」が魅力的だった。バックナンバーの過去記事の紹介だけでも「読みたい!」と思わせるに十分なキャッチーなタイトルが並んでいたし、他のファンジンと比べても書いている人の人数、毎号のページ数(平均して150頁以上のボリューム)と刊行頻度の多さに(増刊含めて20冊近かった)「すぐにつぶれることはないだろう」という妙な安心感(^_^;)もあって、ワシはすぐに連絡先の書かれていた中島氏の住所に最新号の購読問い合わせをしたのである。ややあって返信があり、次は21号(特集はウルトラシリーズのシナリオ掲載)が刊行されるので1000円を予約として振り込んでくれとのことだった。その通りに手続きを取り送られてくるのをそれはそれは楽しみに待っていたのだが・・・

なんと!ここから21号はまったく発行されることがなく入金から1年近くが経ってしまい、ワシはその間も何度か問い合わせをしたが「遅れている」の一点張りでどうにもならない状態が続いたのだった。そのうち「宇宙船」誌上(何度目かのファンジン特集だったかな)に於いて突如として中島氏が「何故PUFFの発刊が遅れているか」について言い訳だか居直りだかなんだかわからない文章を載せていて(「どうしてPUFFが出ないなら自分たちでもっといいファンジンを出してやろう!という若い奴が出てこないんだ!」みたいな論調だったと(^_^;)けっこうムリヤリな釈明だったなあ)このあたりからほんとに送られてくるのか、或いは発行自体されるのかどうかというのが不安になってきたのだった。

それからしばらくしてB6サイズ8頁くらいの「ミニPUFF・怪獣ランド通信」(^◇^;)という冊子が送られてきて、それによると本誌発行までの繋ぎと連絡用としてこれをお届けしますという事が書いてあり、もうまもなく21号はお届けできますよとも書かれていたので少しは安心したのだが、結局最初のコンタクトからワシがPUFFを手に取るまでは2年近い(ちょっとこの辺記憶曖昧)日数を必要としてしまったのである。

で、そんなある日突然なぜか21号ではなく22号が家に届けられ、驚いて中を見ると「とにかく一度なんでもいいから発行して体制を整えるために急ぎ「最新号」を発行します」と書かれており、遅れに遅れている21号は後回しにして(__;)とりあえずこれで再スタートを切ると実に潔い宣言がされていたのだった(確か22号は無料だったし、しばらくして21号も無事送られてきた)さらには待ちに待った初めての「PUFF」をようやく読めるのかと思うと、それまでの待機時間が長かっただけによけい感動もひとしおだったので、数年放置されていた怒りが霧散するのもそんな難しいことではなかった。

この最新号は特に特集記事などはなく、どちらかというとアニメ作品の評論が多くて僕としてはイマイチ入り込めないところもあったのだが、先に書いた潔い宣言をしていた代表編集者である富沢雅彦さんの文章がもうおどろくほど面白くてビックリしてしまった。彼のことは商業誌でときどき名前を見かけていたし「宇宙船」で読んだ「ガ・キーン」の記事であるとか「70年代石森ヒーロー特集」のエッセイであるとかで、とても個性的で読ませる文章を書く人だという認識があったのだが、メインストリームである「PUFF」の中ではもっと自由な記事を書いているというのが、初めての「PUFF」で一番印象に残ったことだったのである。もうなんというか硬軟織り交ぜ変幻自在で扱うテーマによっては突然文体も変わり、油断していると置いて行かれるかのような抜群のレトリック、いろんなジャンルからの言葉を次から次に巧みに持ってくるというあのテキストコラージュのセンスにはひたすら感心(いや、感嘆)するしかなかった。

puff.jpgその後中島氏は「PUFF」を離れて窓口は富沢さんに変わったのだが、以降遅れることなく発行されたもの(この時点では24号まで)を引き続き購読し、もうすっかりこのファンジンの魅力にハマってしまったというか、自分と世代的にはそんなに変わらない同好の仲間である人たちがこんなにも沢山いるんだという、むしろ近くにはいない戦友(?)たちを見つけたような気がして、読むこと自体がとっても嬉しい行為に変わっていったのだった。

毎回購読の注文は富沢さんへの「読後感想」と共に封書で送っていたのだが、ワシ自身はいち読者であって会員であるという意識は全くなかった。そんなある日の手紙のやりとりの中で富沢さんの方から「遠慮無くいつでも原稿送ってくれて良いですよ」と書いてきてくれてたのを見て「あ、参加してもいいんだ」とすっかり嬉しくなったワシは短いエッセイとテレビ評を書いて送った。むろん富沢さんが読んでアカンと思えばボツになるだろうと思ってのことだが、これがあっさり次の号に掲載され、それを見たときはもう舞い上がらんばかりに喜んでしまったのである。

その後数年にわたって手紙のやりとり+原稿送付という形が続き、気がつけばワシは富沢さんを兄の如く慕っていくようになってしまった(商業誌で連載していたコラム内容をワシのリクエストに応えて書いてくれたり、聞きたかったサントラのカセットを会ったこともないワシに郵送で送ってくれたり、そういう交流を心底嬉しく感じていたのだろう)結果それがアダとなって最後は無神経な手紙を何通も送りつけてしまい(基本オタク同士の関係というのはあまりお互いに踏み込まないモノが定説なのだが、当時のワシはそんなこともわからずにズケズケと失礼な対応をしてしまっていたのだ)すっかり立腹させてしまうこととなってしまったワシは半ば三行半を突きつけられたような形で彼との付き合いを断つことになってしまったのである。

その後「PUFF」は少しずつ刊行スピードが落ち始め、富沢さんが商業誌での仕事が忙しくなってきたせいもあってか編集後記では愚痴や嘆きも多くなっていた。ワシは上に書いたようなこともあって29号を最後に連絡をすることもなくなってしまったのだが、それでもいろんな誌面で目にした富沢さんの記事は読むようにしていた。それがある日突然告知もなく記事が載らなくなり、どうしたんだろうと思っていた矢先、とあるところで事もあろうに富沢さんの訃報を目にすることになってしまったのだ。

まさか!としか思えない話だった。なんと30歳という若さで彼は天に召されてしまった。有り余る才能を抱えたまま、人の何倍も早くウルトラの星へと旅立ってしまったのである。それを知ったときの喪失感・後悔の念というのはもうとんでもない大きさだったし、あーもうオレは一生富沢さんに許されることはないんだなと思うと自分がしたことの愚かさをホントに悔やむしかなかった。

トミザワそれからしばらくして富沢さんのお姉さんでアニメ評論の活動をしておられる五味洋子さんから手紙が来て「追悼本を出します」との連絡があった。ワシは心の整理がつかないこともあって追悼文は送らず、本だけを買わせていただきますと言うことで返事を返させてもらった。送られてきた追悼全集には富沢さんの原稿が多数収められ、彼の周りにいた人たちの暖かくもユニークな文章で囲まれていて、追悼と言う湿っぽさがあまりなかったのが救いのような気がした。

もう当時買ったファンコレとかの本は一切手元に残っていないが、この本だけは今でもときおり読み返すことがある。そのたびにいろんな思いがアタマの中を駆けめぐり、ガキだった自分とそんなワシに真正面から向かい合ってくれた富沢さんのことを思い出さずにはいられない(自分が思ったこと、感じたことを文章で綴る楽しさを教えてくれたのは親でも学校の先生でもなく、間違いなく富沢さんだった。僕はこの先も彼のことを忘れることはないだろう)

そんなわけで本ブログ「驚異を求めて」と言うネーミングはその「PUFF」の名物コーナーだったテレビ評欄のタイトルから来ています。報告旁々書きますが富沢さん、もうこっちは40超えてすっかりオッサンになっちゃいましたよ。いつまでも年を取らない貴方が、ホントに好きなことを全うして人生を駆け抜けた貴方がかっこよくてうらやましいよ。いずれ向こうで会いましょう。そのときはちゃんと謝らせてくださいね。

※参考※
・富沢さんの原稿が採録されている「不滅のスーパーロボット大全」
・富沢さんの紹介がされている「天使の王国」

また上記アフィリにあるキカイダーのサントラ解説は富沢さんによって書かれています。
関連記事

0 Comments

Leave a comment