事実にはオチがない

どれもスターチャンネルハイビジョンで見た。それというのもこの時期にワンコインキャンペーンというのをやっていて、コレに入れば2ヶ月を500円で視聴可能という話だったので即決で契約したのだ(当然キャンペーンの終わる2ヶ月後には解約しとるんだけど(__;) なにせ通常価格が月2500円は高いよ >スターチャンネルさん)

「フロスト対ニクソン」



ウォーターゲート事件で失脚したニクソン元大統領をテレビインタビューに引っ張り出して「その事」を引き出そうとするキャスター側と、事件のことはあまり触れず政界復帰の足がかりにテレビを利用しようとするニクソンサイドとの虚々実々の駆け引きが面白い・・・となるハズだったのだが、フロストの方に支持者が増えなかったり、また資金が枯渇して切羽詰まった状況等、いろんな面で後のない戦いに臨むのだという緊迫感がかなり足りなくて、その分対決ムードが膨張しきらないうちに終わってしまったかなという感じだった。

この映画だけ見てたらなんだよニクソンって人間くさくていい人じゃんと勘違いしそうな作りにもなってるし、双方を均等に描くには時間配分にムリがあったのだろうなあ。ニクソンを徹底的に「敵」としてひたすらフロスト側の描写でフォローした方が盛り上がったかも、とワシは思う。

「チェンジリング」


行方不明になっていた息子が数年ぶりに見つかり、帰ってきたのまでは良かったがその子は別人だった・・・という手塚治虫の不条理短編みたいな話だったけど、これもほんとにあった話だそうだ。警察関係者を徹底的に敵として描き、事実だけを追い求めるアンジェリーナ・ジョリー扮する母親との戦いにひたすら喝采を!と映画的なクライマックスが用意されて然るべきの後半だが(「バーン・ノーティス」のジェフリー・ドノバンが良い悪役仕事をしている)実際には息子は帰ってこなかったと言う部分を映画の方でもまんまやってしまうと辛さと徒労感だけが大きくなっちゃってどーにも気持ちの持って行き場がない状態になってしまっていると思うのだがなあ。そこをフィクションで変更するわけにはイカンのかったのだろうか・・・

「ゾディアック」


有名な未解決事件をデビッド・フィンチャー監督が映画化した意欲作。この人の映画は当たり外れが大きいのだけど今回はめずらしく「半当たり」と言った感じ。20年近い時間の中を動いているのにその経過がまったく伝わらないというあまりにあんまりな所もあるけれど(メイクを工夫するとかセットを有効活用するとか、もう少しなんとかせいよとは思ったけどね)原作者の言いたいことはほぼ9割方映画版としても成功しているようには思えた(「ダーティハリー」の試写会場で「映画なら簡単で良いよな」みたいな台詞が入ったのは、現実にそういうことを関係者が言ったんだろうというのを想像できて面白い)

終幕直前の犯人かも?と疑われた男性宅の地下室シーンなんかはサスペンスを盛り上げるためのネタ振り的演出なんだろうと思うけど、それ以外はドキュメンタリーの色濃しでなかなか見応えもあり。ただ、上の2本と同様、事実通りの結末なのでこちらも映画的カタルシスからは無縁の幕引きになっているのがどーうしても最後で引っかかってしまうのだった。事実を優先させたいのはそらわかるけど映画的解釈でワシはこう思うよ、っていう監督の侠気というかこうだったら良かったのになという願望的な展開で話を締めくくってもらっても、それは客の立場からなら十分許される事だと思うのだけどね。

結局の所ドキュメンタリー映画として事実を優先するとそこにはオチが生まれないという事か。
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