3ird~"The Hurt Locker"

急に思い出す回顧シリーズの第三話。高校生活も最終年に突入し、気がつけば僕には副部長などと言う畏れ多い肩書きが付いていたのだった。スチャラカ部員だった僕に果たして勤まるのかどうか大いに不安はあったが、実際やりだすと役回りとしてはまさに事務裏方というか新部長の完全アシスト(この部長というのは1年の時僕がむりやり入部に誘った彼)に徹するという形だったので、案外自分には向いていたような感じではあった。この辺は先輩方の見識眼(3年は卒業時に次の首脳陣を決定するという役割があったのだ)が優れていたと言うことだろう。

部長に決まった同級生は恰幅もよく声もでかくて社交性もあり、まさにグループの代表としてはうってつけのキャラ。予算編成会議みたいな学校側やほかの倶楽部との折衝面ではしっかり活躍してくれたので、僕はその側で主に映画制作そのものの進行を引き受け、ほかにも同時に新入生用のプレゼン原稿や卒業文集の部活紹介等、部長名義で発表されるそれらの書面を俗に言う「ゴーストライター」という形で担っていたのである。自分で言うのもなんだが彼との2トップは良いバランスで成り立っていたと思っている。新入生の勧誘も思いの外うまくいきあとは作品の善し悪しだ・・・とココまでは良かったのだけど(__;)

-1984年-

例によってシナリオは前年度中に仕上がっており、タイトルは「Miss:take」 と決定。書いたのはこの僕だ。ホントなら前年出来なかった部員数名による複数の持込シナリオをコンベンション方式で決定したかったのだが、意外と作品が皆から上がってこず、消去法で仕方なく僕のシナリオが採用されることになってしまったのだ(__;)うれしさ半分不安半分でそのまま準備に入り、演出については部長と僕とのツープラトン体制でやろうという事に決まった。

粗筋・・・某国が開発したテロ用生態核爆弾は一見するとごく普通にしか見えない人々に仕込まれ、本人は記憶も自覚も無いまま暗示による刷り込みで実行場所へと赴く仕掛けになっていた。しかし、ちょっとした手違いでプロトタイプ爆弾を埋め込まれた青年に逃げられてしまう。彼を助けたのは大学生のグループで、記憶の無い彼を手伝いなんとか身元を確かめようとするのだが、テロリストグループは彼を見つけ出し取り戻そうと。。。うーむ、こう書くと大きい話だ。

てな話を調子に乗って一気に書いたはよかったが、本来ならタイトルにMissとあるように主人公の爆弾君は女の子をアテ書きしていたわけだけど、女子の確保がままならず(__;)男子へと変更になってしまったのだった。また、こういうシナリオとか小説とか書いたことある人ならわかってくれると思うけど、執筆中って一種のハイ状態というかイタコ状態というか、もうすべてが良くできてるような気がして仕方ない状況に陥るのね(^◇^;) で後から読み返して「あー、俺はなんてしょーもないものを書いてしまったんだろう・・・orz」と自己嫌悪に陥ってしまうと言うのがおきまりのパターンで。それでも時間はないしろくな推敲もせずにとりあえずこのままGOとするしかなかったが、いざ撮影が始まるとそこには過去2年とは違う苦労が我々を待っていたのである。

まずは今まで適当にやってきて(こんな書き方したら諸先輩方に怒られるな(__;))なんとかなったんだから今年もなんとかなるだろうという見通しの甘さ。撮影スケジュールよりもアルバイト等のプライベート確保を優先的に取ってしまったのも大いに問題だったし(部費のカンパ用という大義名分があったとは言え)それを纏めてリーダーシップを発揮できるメンツが我々最上級生に不足していたのも後輩を締めることができない要因となっていたようだ(部長は怖がられぼくはナメられみたいな(^_^;)先々代のリーダーのような偏ったカリスマ性や先代のリーダーのような憎めなさといった某かの特徴が僕らの代には無かったのだろう)そのせいかどうか定かではないが途中で次期部長と目されていた唯一の二年生部員が離脱し、撮影が進み出した頃には主力の半分が一年生という戦力的にかなりな弱体化現象に陥っていたのである。

そんな中でも光明だったのはこの1年の中にしっかりした奴らが何人かいてくれたことだろう。彼らのおかげでなんとかこの年も完成まで漕ぎ着けることが出来たわけで、春先に頑張って勧誘活動をした甲斐がここへ来て花開いたなと僕自身は何度も安堵のため息をついた物だった。しかし製作進行については上に書いたとおり少ない撮影日数のなかでの進捗だったのと、さらに問題だったのは主に現場演出の担当だった僕にいわゆるカメラセンスという物が無かったことにある。つまりディレクター/カメラマンの前提である「繋がりのあるカット」「奥行きのある絵を狙えるカメラポジションの配置」等々を絵に出来るという能力が決定的に欠如していたのである(__;)もう現像終わりでラッシュフィルムを見たら、すべての絵が平面平板で工夫がない。ややもすると家族旅行でも撮っているかのような面白みのない映像が延々と映し出されているのだった。

文化祭も目前に迫っていたし、今更素質や素養が無いのを嘆いてもどうにもならないので、このままクランクアップを迎え、編集作業へと突入。ひとつだけ自分を褒められることと言えば短いカットをこまかく繋ぐ編集センスは多少持ち合わせていたのではないかと、フィルムを繋ぎながら少しだけ悦に入っていたのだが残念なことにその短いカットの集合体は全体の数パーセント程度しか無く、全25分の本編の内9割はのぺーっとした抑揚もなければ迫力もない絵ばかりとなり、娯楽映画としては惨憺たる出来となってしまったのだった(×_×)しかも諸事情により音声を同録で処理することが出来ず、仕方なくカセットテープにアフレコして上映会当日は人の手によるシンクロ(テープを停めたり進めたりといった)で発表することになってしまったことも痛かったし。

そんなこんなで文化祭当日、昨年までと同様たくさんの生徒が映画を見に集まってくれたわけだが、ただでさえヘタで見所のない映像にわかりにくいストーリーを音切れ切れで上映していたので、来客からは「ぜんぜん意味がわからない(__;)」との声をたくさん頂戴してしまった。この日も例年通り二度の上映を試みたが、初回での評判が口コミで伝わったのか二回目の上映でやってきた生徒は数えるほどでしかなく、僕は義理で見に来てくれたクラスメートたちに口頭でストーリーを説明しながら映画を見て貰うという、インディーズとは言えフィルムメーカーとしては最低なことを(__;)やらねばならなくなったのだった。

上映会が終わり僕の胸に去来したのはふたつ。ひとつは自分には監督(及びカメラマン)としてのセンスは皆無だと言う10代で知ってしまった残酷な事実を受け止めたこと。もう一つはどれほど作品の出来が悪くとも、なんとかみんなで手を取り合って完成させ上映会に臨めたことに対する満足感。その両方が心の中で行ったり来たりを繰り返して、当日は言いようのない気持ちで一杯だったことを今でもよく覚えている。このときにはもう就職も決まっていたし、半年もすればこんなことももう出来なくなるなと少し感傷的にもなりながら、僕は高校生活の終わりが近づいているのを実感していた。

それにしても狙ったわけではないが作品そのものが"Mistake"になってしまうとは、なんとも良いオチだったというかなんというか。。。





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