You talkin' to me ? 2nd_新たなる驚異を求めて

見た映画・テレビの話をだらだら且つのんべんだらりと綴るブログ

Category: ◆Indies Cinema Paradise=自主映画四方山話  

5th Element~"In the AirTonight"

この三月はなんかしらんが忙しいことだらけで休日や平日夜は疲れて寝てばかりの日々が続いていたためにマトモに見た映画がとうとうひと月の間に一本もなかった(ーー;) 録り溜めしている海外ドラマもちーっとも消化できてないし(「glee」の3hird一挙放送がBSプレミアムで始まったり、既に最新シーズンの4orceもFOXで始まっているのにとても手が回らない)どーしたものかと思っていたが、もうここまで来たらゴールデンウィークまでストックしてそこで一気に見てやるしかないだろうと腹を括っている。連休中は睡眠時間を減らしてでもナンヤカンヤと見続けるつもりである。

まあそんなどうでも良い決意表明は置いといて、何も見てないなら昔話を書いてしまうことにするが今回は忘れた頃にやってくる自主映画回顧録の第5弾。

-1987~1991年-

自分たちのグループで初めて作ったビデオフォーマットによる作品「S」は様々な問題点を孕みながらも前回書いたとおりなんとか完成にこぎ着け、その反省を踏まえた上でいよいよ刑事アクション大作「T」の製作がスタートしたのである。もともとこの映画の企画自体は「S」よりも前に上がっており、完成シナリオもあるなかで実際に87年には何カットか撮影も行われていたのだが諸事情により製作が中止となっていたものだった。あらためて新作として取り組むに当たってシナリオも全面改訂し(標準語だった台詞はすべて方言に変更)年号も平成に変わった89年に撮影はリスタート。

本作では前回苦労した編集のタイミング(家庭用ビデオデッキを2台繋げて人のカンまかせによるやり方をしていた)を整備するためにメンバーの某が購入した業務用の8mmツインデッキを使用。これはタイムコードを記録してフレーム単位での操作が出来、なおかつ一度に何カ所もの編集ができるという優れもの(それこそサブリミナル映像みたいなのもその気になれば入れ放題なほど)

メインカメラの方もそれまで使っていたVHS一体型ではなくSony製Hi8カメラを複数台用意し画質・音声の質もアップ。過去ずっと完全アフレコだった音の処理も同録音声が殆ど使えるようになり技術面での向上は当時としてはスゴイ物があったのだ。夜間撮影もわずかな光源があればちゃんと映ってくれるし、撮影環境としては申し分なかった。クランクイン当日僕はこの映画が間違いなく今までで一番出来の良い作品になるだろうと確信に近い高揚感を感じていたのである(今回僕はADと言う名の雑用諸々(ーー;)とサブカメラを主に廻していた)

映画自体の粗筋は_

おとり捜査で麻薬取引の現場を押さえる寸前まで来ていた県警チームは突如現れた第三勢力の横槍によってそれまでの捜査が水泡に帰する事態に見舞われる。その後事件はどうやら香港からの日本侵攻ルートによる対抗勢力排除であることが判明し、現地のボスが徳島入りするという情報をキャッチした。香港側と徳島で取引先となっている暴力団との会合を押さえるべく捜査チームは奮闘するが・・・

と、やってみたらば目指していたのは"Miami:Vice"のつもりだったのに結果的にはアクション有りのやや泥臭い「部長刑事」のような味(ーー;)がブレンドされた独特の作品臭が漂う映画になってしまったような気がしないでもない。しかしながら上にも書いたとおり、テクニック的には機材・人材の充実ならびに経験値のアップがあったぶん今まででもっとも完成度は高かったと思っている(過去作と比べれば雲泥の差だと)

ともかく本作は製作にかかった日数も拘わったスタッフ/キャストの数も過去最大規模のものとなっており、当初思い描いていた我々的大作のイメージはほぼ覆ることはなかったが(尺も90分近くあった)なぜか映画が完成したときに今までのような満足感・幸福感・開放感・一体感といったこの趣味でしか味わえないその他諸々の入り交じった複雑な感情をこのときはさほど感じることがなかったのだ。これは自分でもほんとに不思議というか、トータルで4年もかかった映画に対して感情が爆発しなかったのはなぜだろうと。

思い返してみると高校時代からスタートしたこのグループ内の関係性が、自分も含めたメンバーそれぞれ全員二十歳を超えて大人になり、かつて文化部ではありながらも最低限の「縦のライン」で守られていた秩序が少しずつ乱れていたことが多少なりとも作用していたような気がしている。それは具体的にどうだこうだという話ではなく各自の肥大してきた自我と自我がぶつかりあって良い意味でメンバー同士が対等の関係になった故の現象ではなかったかと思うのである。

それが旨く運べばディスカッション面で有効に働き、より良い物を作ろうという意識が共有できる場合もあるけれども、その反面自分の意見が前面に出て他者の意見を受け入れにくくなってしまうケースも派生するわけで、他の人たちがどう思っていたのかは最早知る由もないが、僕個人はなんとなく全体の流れが後者に近づいていたのではないかという気がしていたのだ。

僕なりに考える自主映画本来の作られ方というのはまず監督に絶対服従した状態(廻りからある程度の提言は必要だが)でそれぞれスタッフが1→2→3と流れに乗って作業を進めるべきだと(少なくとも撮影が終わるまではそうしないと)思っている。しかしこのときは上に書いたように自分も含めた各部門それぞれの各人が不満や自己主張を出し始めて、結果的に一つの方向に向くことが出来なかったのが心底喜べなかった原因じゃなかったのかなと(まったく別方向じゃないけど微妙に違うところを見ていたような感覚)

この頃から少しずつではあるが自主映画という物に対して以前のように正面から向き合うのが難しくなった来たなと思うようになり、それと同時に仕事ではなく趣味だけで集うオトナの集合体が一枚岩になる難しさも感じ始めていたのであった。
 
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Comments
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こんにちは〜^^
自主制話し、過去記事へさかのぼって読ませて頂きました!ここだけの話し?わたしもかつて自主制&仕事と映像演出に絡んでおりまして、しろくろさんの臨場感ある語り部がまた楽しかった。何より映画仲間に囲まれた中での活動が羨ましいです〜。大人になっても未だひっそりと野望が消えませんよ、生涯の内シナリオ一本くらいは完成させてみたいものです^ ^
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>こじか さん

こんばんは、コメントありがとございました<(_ _)>

おー、そうだったのですね。どうりでこじかさんはどこか同じ匂いがする方だと思ってました(メーワクな決めつけ??)

ただ、僕の書いてる思い出話は昭和のできごとなので、おそらく若い人たちの活動とは全然違っていたのではないかと思います。

もうたぶんあのころみたいな活動をすることなんかはないでしょうけど、カメラ一台スタッフ自分だけみたいな完全一人称のプライベートフィルムっぽいヤツ撮れたらなあなんて夢想したりすることはあります。
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